「予算がない」という欺瞞を超えて

2016年もあと僅かですね。

光陰矢の如し、で、刻一刻と時間は待ってくれません。

今年一年を振り返ると、1年前と思うと、大変なこともあるけれど、ずいぶん楽しい日々を送らせていただいているとも思います。

10年前に戻ってみたいという思いもあるけれど、人生の中でいつが良かったか?と問われると、結構、今が一番楽しいんですね。

 

時間は状況に少なからず変化を与えてくれます。そして、人も少なからず変化していきます。

私も少なからず変化があるように思います。

 

振り返ると5年前の2011年には「東日本大震災」がありました。

もう5年も経過しています。

私は、その2011年の11月一杯である地方自治体を退職しました。

震災の影響もあるかもしれませんが、それ以上に、ここでは深く述べることはしませんが、当時の市長とともに進めていたプロジェクトが頓挫したことが大きな要因です。

そこで、地域や組織にいることが、耐えられなくなったのです。

当時の市長は、その年の翌年、大変惜しくも、ご病気で亡くなられました。

 

私は地方自治体で構成する広域観光推進の協議会(外郭団体)で2年半、その後ある自治体の商工観光課で4年弱と、観光行政や地域振興に長く携わらせていただく機会をいただきました。

そして、今でも当時学習させていただいたこと、行政的(公益的)なメンタリティ、信念(思い)が深く刻まれています。

赤子の魂が百までと言われるように、ファーストキャリアで培ったものは、どうやら心身に染み付いてしまっているようです。

もちろん、そこでこの方法では「ダメだ」と思えた気づきや、検証して改善や放棄をすべきと考えたことについては、今になってはより冷静に振り返ることができると思っています。

 

実は、当時、直属の上司(すなわち当時の係長)を飛び越して市長とプロジェクトを進めることになったのにも理由があります。

理由は簡単。そのメンタリティや仕事のやり方、理解や視野の度合いが違うと実感していたからです。

さらに、新しい要素を学習し、地域にとってより有益な方策を考え、挑戦しないというのが特徴でした。

その言い訳は色々とありますが、その一つが「予算がない」。

きっと、様々な自治体の現場で飛び交っていることでしょう!

こんなことばかりやっていても仕方がない、仕事をまともにやるとしたらスケールも含め意義あることをやらなければと、市長に直接の直談判。メール、そして廊下でのエレベーターピッチ。。。笑

 

「予算がない」

今思うと、この言葉がどれだけ欺瞞に満ちているかを力を込めて話すことができます。

なぜなら、すでにそこに予算が付いているからです。

そこで労働している時点で、被雇用者である当事者に手足、そして頭が生み出す価値というもの(の期待値あるいは貢献価値・労働価値)に対し、対価としての貨幣が支払われている訳です。

創造性を発揮すれば、またその創造性を背景にトライ&エラーや様々な試行錯誤、折衝を繰り返す中で世にとって有益な、あるいは納税者にとって必要な、事業なり施策なり、あるいはもう少し小さなアクションなりが導きだせるはずなのです。

そのブラッシュアップが集積された時に、あるいはそれが形をみせ始めた時に、そして有益性を見せることができた時に、必要なリソースは集まってくるのではないでしょうか?

あるいはそうなるべく集めるということなのではないでしょうか?

資源は、内部、財政のさじ加減だけに存在している訳ではないのです。

ここで、まず3流と2流以上とを分けると言えるような気がします。

 

今、私に担保された人件費はありません。

しかし、それは私の決断ですし、それだから「予算がない」とは言えません。

知恵を絞り、行動し、トライ&エラーをし、顧客にとって価値あること、関わる人々にとって価値あること、支えてくださる方に良かったと思っていただけること、そして社会にとって有益なこと。

それをただ追求し、自らが成長していくだけなのです。

 

幸いなことに、今、私が関わっている関係の皆さんは、こう言った欺瞞のない方ばかりです。

限られた資源や環境、状況の中でいかに現状を打破し、有益な結果を導き出すか?

そんなメンタリティで動いている方々が多いです。

物事を進めていくとき、動くとき、やはり人のつながりが大切であると改めて感じる今日この頃です。

欺瞞を超え、熱意ある、あるいは味のある、多様な人とともに、響き合いながら歩んでいくことに意義を感じ、自らの役割を発揮していきたいと感じています。

2017年、そんな関わりの中から、面白い結果が一つづつ現れていく予感がしています。

今から非常に楽しみです。

〔文責:宮田久司〕

見えない資産を伝える

久悦では、ISF(国際日本酒普及連盟)を通じて、国内外における日本酒と食文化を始めとした文化の普及のための事業を推進しています。

国内外ですので、もちろん海外での動きも対象となります。

先日は、フランス南部のビール醸造家からコンタクトがあり、現地で100%フランス産の地酒を造りたいということで相談がありました。

フランスをはじめ、欧州でも日本酒に対する理解が進み、一部の中では広がってきていますが、一方でマスプロダクトとしての中国産清酒や、場合によっては蒸留酒なども日本酒として売られている実情があります。

そのような環境にあって、100%フランス産地酒を造り、その楽しみや価値を伝えていこうとする彼らは、私たちが現地で広めていきたい日本酒の(社会的価値も含めた)文化的価値を広めていくことではじめて、彼らのやっている事業が報われるという点において、私たちと利害が一致しており、運命共同体でもあります。

私たちも、彼らの日本酒に対する情熱や、感性に共感をし、プロジェクトの実現に向けた支援をすることになりました。

フランスでは、もちろんワインのような地酒文化(テロワール・ワインの文化)や社会環境の整備が進んでおり、彼らの取り組みは発信という側面のみならず、保全や自国の地酒を取り巻く社会環境整備の上でも有益であることは間違いないものと思われます。

先日は、日本国内の醸造家、公的機関の醸造研究者、大学研究者(応用微生物学、地理学等)などの関係者を紹介し、現地製造にかかる課題整理と解決のためのチーム作りを行いました。

すべての関係者に対して熱心に質問し、メモを取る彼ら。
− ある醸造家の話とあなた(私共が紹介した醸造家)の話、蔵元によってこの点については言っていることが一致しないのですが・・?
− 日本酒を作るにあたり水が重要であるということですが、その採水地や水源を保護する規制はあるのですか?

・・・などなど、鋭い問いかけも随所に出てきます。

何せ、彼らの使用するお米はカマルグというフランス南部の地域で作られたものを予定しているのですが、自然保護地区であり、かつ合鴨農法で作られた無農薬のものを用いる予定なのです。
自然保護区、また彼らの醸造地であるラングドック一帯も、もちろん地域でAOC/IGPの原産地呼称制度に取り組んでいるという点で地域性と環境を守り、食文化の保全と発展を支える社会環境整備という点において(あるいは消費者理解やそのために「食の遺産と文化のフランス委員会(Repas gastronomique des Français)」などが進めているガストロノミーの普及・啓発という点においても)、彼らの方が確実に上手なのです。

我々日本の文化は、ある意味今までの延長線上の中で生成され、継承されてきているものを、現代の中で享受し、また担い手となり受け継いでいるということに過ぎないため、あえて客観的視点から取りまとめ、様々な地域軸や分野軸を横断して情報化(形式知化)させる機会が特にある訳ではないため、実のところ統合され、一貫した情報が存在していないというのが日本酒を取り巻く一つの実情でもあると思うのです。

ましてや、その整理された情報を元に、保全や振興のための手立て(施策)を捻出していこうという方向性や実情なんて・・

彼らのメモを取る姿を見ていて、「むしろ彼らの方がより客観的に、正確に、日本酒というものを捉え、伝えていくことができるのではないか。それは大変ありがたいことだが、もう少し日本人もその点を踏まえて発信できないものなのだろうか?」

などと感想を持ったのでした。

この客観的に見ながら、正確に捉え、形式知化させて発信していくという事例は、日本の文化を見る限り事例は稀有なのではないかと思います。

先日、クラシック専門家の方に「クラシック音楽の起源と定義」を聞くと、グレゴリオ聖歌に始まる譜面化された音楽がその起源であると聞きました。
日本の音楽の授業も、国歌も、ある意味このクラシック音楽の系譜上に存在しているとも言えるのではないかと思いますが、一方で日本の音楽について、そこまで体系化・系譜化されたものは無いのではないでしょうか?

日本の演劇の世界では、坪内逍遙がその系譜を整理したと言われていますが、日本においては存在感がありません。
武士道であれば新渡戸稲造が、禅や日本の宗教的観念は鈴木大拙が、茶の湯については岡倉点心(覚三)がその役割を担ったと思われますが、きっと「日本酒(SAKE)」についても、そのような目に見えない(Intangible)ものを分かりやすく浮き立たせ、シェアし、保全・継承・発展につなげるということが不可欠であると思います。

最近は、よく地域振興のネタとしてもユネスコの無形文化遺産(Intangible Cultural Heritage)登録が持て囃されていますが、これも目に見えづらい文化的価値の意味と意義を捉え、現代社会・経済環境の中で保全する意味性を浮き立たせることができ、かつ発信のためのツールとして使える有益な施策であると思います。

実は、この施策は採用された当時ユネスコ事務局長であった松浦晃一郎氏のイニシアチブもあり、目に見えないものを大切にするアジア的感性からその遺産を保全することを目的に実現されたものなのだそうです。
目に見えない伝統的文化価値を知り、伝えることの重要性を認識し、実行に移せる稀有な日本人がここにも一人いたということでしょうか。

もちろん、現代は世界的に人々がつながり、共通の課題や関心、目標を共有することのできる時代です。

私たちは、そのような背景から、日本人のみならず、今回のフランス人のような意志ある人々と協業し、この見えない資産を見える化させ、その価値を様々な観点から浮き上がらせ、発信や保全の基礎として用いていきたいと考えております。

きっとクールジャパン施策で言われている「コンテンツ化」の基盤はそこにあるのでしょう?
と思うのです。

〔文責:宮田久司〕

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久悦の「5 VALUES」

久悦は『守るために伝える。』をコンセプトに「①郷土産品の製品企画・流通・販売」、「②マーケティングコンサルティング」、「③地域振興企画の立案・執行・支援」を事業の柱として、駆け出しではありますがなんとか頑張っております。

人口の減少や持続可能性の危機が言われる中で、結局何のために、どうやって生きていくのか?
その中で、貨幣とは豊かな生活を享受するための価値の触媒として機能する「道具」であり、経済とはその媒介システムによって機能する現象でり、それを構成する諸活動が「経済活動」であるのだと思います。

そうであるのならば、その経済活動をすることを通じて一人一人が持続可能で、豊かに生活を享受できる(経済や社会の)環境をつくり、維持していくことが大切なのではないでしょうか?
経済「成長」は、上記した目的を満たすことによってのみ、人類にとっての意味を持つのであり、ただがむしゃらに成長や発展をしなければならないという脅迫観念はその本来の意味から脱線しているのではないかと思います。
逆に言えば、経済的発展も衰退も、それによりゆとりが生まれ、豊かさを実感でき、環境的負荷も軽減されている方向に向かうとしたら、それは人類にとってより良い意味を持つものと思われます。

しかしながら、一方でミクロの一人一人の生活に視点を落としてみると、安全なものを食べるにも、教育や医療を受けるにも、移動するにも、経費が必要となります。
経費の獲得のために、価値を人々に提供し、対価としての貨幣を得ることが必須となります。

問題は、それを人類にとって悪影響をもたらしかねない武器や、環境的負荷の高い産業、あるいは福島が立証した全てを無にする残留リスクを抱えた原子力発電に向かい、短期的利益を得て長い目で見た損失に目をつぶるか、文化やコミュニティ、農村社会などの「目に見えない」社会的資産(社会的共通資本の一つとして位置付けられる社会的関係資本)を喪失させ、短期的経済性だけを優先した大規模農業のみにシフトしていく方向をとるのか。

などなど、その「質」や経済活動の性質がもたらす「社会的波及効果」にまで視点を移して、経済主体の短期的ベネフィットも満たしながら、長期的なこれらの波及効果、資産の向上に資する方向に経済的「価値観(value)」を重視し、あるいは転換していくことこそが求められているのではないかと思います。

それも含めて、ミクロレベルでの一人一人の生活も長期的にも守られていくのではないかと。

先日は『伝統資産から学ぶ〜清酒業界から見る持続可能性』というテーマに、伝統産業の中に眠る目に見えない社会的価値の側面について国際会議の席で少しだけ発表させていただきましたが、久悦では、先に述べた事業・経済活動を行う過程で、このような観点を踏まえた経済環境(及び社会的環境や地域資源、総称して「社会的共通資本」)の整備に資することができればと考えております。
(これらの先に私の提唱する「価値経済(value economy)」の概念が存在していると考えています。しかしながら、この概念についてはこれからの研究テーマの一つとなりそうです)

とは言っても、微力ながら小さなこと、できることから一歩ずつという感じですが、そのような思いから生まれた『守るために伝える』というスローガン・コンセプトを支える柱(ピラー)として、私たちは「5 VALUES」(5つの価値観)というものを掲げていますので、せっかくなのでご紹介させていただきたいと思います。

 

■ 5 VALUES(5つの価値観)
持続可能な豊かな生活を支える基礎的な価値観として私たちが大切にしたいもの

① Respect … あらゆるものに対する尊敬や配慮
和敬清寂、自然崇拝など。人との関係、自然、生産者などあらゆる対象への理解や配慮の姿勢を基礎としている。
また、それを形にしている。

② Organic … 自然のメカニズムや自然への配慮・活用・共生
自然のものを生かすこと、自然と人との関わりの中で生成されたものを生かす。
そのメカニズムや生態系などを知り、活用し、大切にし、共生する。
郷土に育まれたものごとの中にも、そのような知恵は多く存在する。安全で自然な品質(受容され選択されたリスクと付加価値)に対し、価値あるものとして再確認する。

③ Craftsmanship … 作り手の尊重と適正な価値経済への寄与
人びとの生業やその中にある品質へのこだわり、工夫、技術、知恵、美的感性、意匠などの伝承、蓄積、再創造などに価値を認め、適正な対価を払う。
そのことを消費者、生活者にとっての価値や楽しみとして歓ぶ。
生産者、製造者と生活者のより良い結びつきが、文化化(価値経験を尊重する)された風土や価値経済の生成に寄与している。

④ Face to Face … 顔が見える関係性
製品やその価値の伝え方においてはどこで、誰が、いかなるプロセスによってつくられ、運ばれてきたか分からないものごとではなく、作り手や運び手、伝え手が胸を張り、また、顔の見えるものごとに価値を認めている。
逆に消費者からの対話やフィードバックも容易に存在する。
地域内、地域間、様々な関係性の中に対話、共創造、相互扶助などの要素が多面的に構成されている。
暖かい社会関係資本の高度に組織化された社会での応用、評価や組成の努力。

⑤ Enjoy … 柔軟に楽しむ
先に挙げたキーワードは、持続可能で、より安全や安心感を伴い、生産や消費(日常)を楽しむ上での知恵として既に存在していた要素である。
多様な材料、豊かな自然を用い柔軟に楽しんできたのが日本の伝統でもある。
楽しみ方は多様で、現代においては世界中からあらゆる対象を採り入れたり、融合させ、再生成させたりしながら、「美しくも愚かしいこと」、文化的価値(価値経験)を共につくり、楽しむ。
また、その楽しみや創造の連鎖が日常の中に根付いている。

 

以上、なんだか大それたことですが、しかしながら「これを大切にしなければ結局私たちの未来はないのではないか?つまらない残念なものになってしまうのではないか?」との思いから、その価値観を大切にし、思想的柱としていく考えです。

皆様にとっての「VALUE」とは、なんでしょうか?
機会があれば、お聞かせいただければ幸いです。

〔文責:宮田久司〕

過去の投稿の消失について

過去に投稿した文章は、管理人の不手際により全て抹消されてしまいました。
また改めて投稿を重ねていく所存ですので、皆様のご理解をいただきますようお願い申しあげます。