「学習する地域」をつくる① - 十分条件ではない地域ビジョン

今年4月より、自治体を跨いだ広域圏域での観光や地域振興の事業に関わらせていただいております。

2ヶ月が過ぎ、同地が何を目指していく必要があるかについて、個人的なビジョンが見えてきたので、それを記していきたいと思います。
それは、手法や個別具体的な事業・取り組みと言うよりは、同地のあり方を表すものとして浮かび上がってきたものです。
それは永続的で自己発展が可能な「学習する地域」の基礎をつくるというものです。

「学習する地域」という言葉は、ある時ふと頭に湧いたものですが、その元ネタとなるのは、ピーター・センゲなどが提唱している「学習する組織」に由来するものです。
センゲ氏らが始め、世界的に広がりを見せているSoL(Society for Organizational Learning)では、学習する組織を「未来を創り出す能力を持続的に伸ばしている組織」と説明していますが、同じ人が一定の土地(生活・労働圏)という括りを背景に組織化された共同体である地域社会においても組織として置き換えて考えることができるのではないかと思います。
つまり、「未来を創り出す能力を持続的に伸ばしている地域」の基礎をつくることが同地の地域振興・観光振興を推進する上で、もっと言えば「持続可能な本物の目的地・滞在地・居住地と成り得る地域」を共創造していく上で、最も重要となる上位的な課題(KFS)であると現在のところ想定しています。

「学習する組織」には、センゲ氏の著書『学習する組織-システム思考で未来を創造する』において記されているように5つのディシプリン(Discipline:訓練事項)とされる構成要素(後述)があり、それらの要件を認識として踏まえ、機能や能動を創造していくことにより、学習する組織としての有り様が形成されるという示唆があるのですが、「学習する地域」においても、同様にこの5つのディシプリンを地域全体でのアクティビティやマネジメントの中での基礎としながらも、それを支えるソフト的・内在的な機能(Opeating System・5つのディシプリンもその一機能としても位置付けられる)と、それを具体的に機能させる人的・組織的機能及び機構・組織体といったハード的・社会的顕在化された機能の双方が必要になってくるのかと思います。

OSというと、近年だとパソコンを連想しますが、キーボードやディスプレイ、ハードディスクなど様々なハード的機能と、詳しくはありませんがOS、ネットワーク、アプリケーションやフォーマット化されたデータといったものがあって初めてパソコンの運用経験とそこから便益を得るということが可能になります。
世界的に著名な経済学者である宇沢弘文氏は、「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置」について「社会的共通資本(Social Common Capital)」という概念を提唱しましたが、まさに社会的な「装置」である「社会的共通資本」の一機能・要素として「学習する地域」という装置を共に創造し、プロトタイピングや検証・修正を重ねながらより効果的なものを運用し、便益を得ていくということが重要になると思います。

この社会的装置としての地域を経営する手段というものは、複合的な要素が重なり合い、形態として変化を遂げながら現在に至る訳ですが、センゲ氏が述べているように、世界と繋がり複雑化した要素が絡み、かつスピーディーな展開が生まれ、かつ人口構造や環境変化などとともに社会的な大きな変化が訪れる兆候を見せている今日において、その解決策を個別セクターや行政区などに分断せず、ともに考え、解決策を創造し、トライアンドエラーを繰り返し、相互に学びを得ながらより良い解決策を模索していく姿勢やあり方(つまりソフト的・ハード的機能)を共に創り上げていくということが必要であるという時代に来ており、そのタイミングであるということのなのだと考えます。

 

本文ですが、タイトルに『「学習する地域」をつくる①…』とありますように、内容について共通のテーマで何回かに分け勝手に連載していこうと考えています。
そして、今回は、それぞれの要素について、現段階に想定しているものをまず挙げてみたいと思います。これは一つの「着想」ですので、これから少しずつ検証や修正を加え、実態に当てはめて考えていくことが必要になると思います。
また、特にハードウェアとして顕在化させる組織的機能及び機構・組織体については、地域の実情や対象となる地域的範囲、産業や人材の構成状況などによって最適な状況というものが大きく違ってくると思われますので、ハードウェアについて、今回言及は一旦棚上げさせていただきたいと思います。これは、同じパソコンの機能といえど、今でもスマホ、タブレット、パソコンのような多様なインターフェースがありますし、発展系ではICTのようなものも考えられると思います。
ここはあくまで、ソフト面の「原型」として一旦提示したいと思います。

<自律的創造のサイクル>
1.関係者の知恵・意欲の引き出し

2.情報運用機能の強化

3.思考の枠の整理・創造

4.学習する地域のOS(学習する組織の5つのディシプリン・地域のOSで顧みる4つの要素)

5.連携・拡散・自己増殖による創造

6.組織・機構を活用した成果の創出

<自律的学習のサイクル>
1.関係者の知恵・意欲の引き出し

2.情報運用機能の強化

3.思考の枠の整理・創造

4.評価・検証

5.自己学習・共同学習

6.マネジメントシステムの運用

7.連携・拡散・自己増殖による創造

相互のサイクルに重複や関連性・影響の及ぼしあいは存在すると思いますが、象徴的な要素として整理したものです。

ちなみに「学習する地域のOS」に関しては、「学習する組織の5つのディシプリン」と「地域のOSで顧みる4つの要素」を基本的な要素として想定しています。
それぞれを標語として列挙しておきます。

<学習する組織の5つのディシプリン>
1.自己マスタリー
2.メンタルモデル
3.共有ビジョン
4.チーム学習
5.システム思考

<地域のOSで顧みる4つの要素>
1.共創体制
2.評価指標
3.公的根拠のパラダイム
4.フィードバック・自己修正システム

以上ですが、個別要素について今後それぞれ説明を加え、一つの「論」として提唱と実証を加えていきたいと思いますが、非常に長たらしくなりそうなので、シリーズとして連載しながら内容を整備していきたいと考えております。
実証を加えつつディテールを作っていくので、途中で修正が加わる可能性もありますが、事前のご了承をお願い致します。

観光・産業振興機構 のコピー.001

さて、今回の副題にもある「十分条件ではない地域ビジョン」についてですが、この全体像を見れば、地域ビジョンというものがどこに位置づけられているかがわかるかと思います。
ここでいう「学習する組織の5つのディシプリン」のうちの「共有ビジョン」に該当する部分が大きいと思います。
つまり「学習する地域」をつくるという命題の中である一つの側面にすぎず、他の要素もしっかり見て、考えて、創っていくということが不可欠ということだと思います。しかしながら、この「共有ビジョン」自体は非常に重要であるということは一方で言えます。

共有ビジョンとは関係者間で共有されている、あるいはしているビジョンということになりますが、これがお題目として掲げられれている「我が社の使命」や既存の行政が策定した「産業振興ビジョン」のようなものであるという訳ではなく、人々の内的な実態を反映している現象であるということが重要になります。
つまり、各人の個人のビジョンと調和し、コミット(それを自分のものとして主体的・能動的かつ献身的に関わり貢献)する意志を持つという実態が反映されているかが重要になるということです。
また、この共有ビジョン(ここでは地域ビジョンないし地域共有ビジョン)は、各人のコミットをもとに生成され、運用されており、同時にそれに基づいた成果指標を持つということが併せて重要になるかと思います。

東日本大震災の際は、多くの人が被災地のできるだけ早くの復興を願い、各人が出来ることでそれぞれが持つリソース(資金・労力・知恵など)を供出したと思います。この時、共通した、あるいは策定され文書化された「ビジョンステートメント」のようなものは無かったと思いますが、それぞれに自律的に、またその中で自律組織化されて、復興のための動きを支えた(もちろん被災地の人々は自分たちの出来ることで懸命に復興のための一歩を踏み出した)のだと思います。つまり、そこにビジョンが共有され、機能していた状態が生成されていたということになります。
この事例のように、そのようなビジョン(共有ビジョン)とは、無理やり「作りあげるもの」ではなく、潜在的に、あるいは顕在化されて「湧き出てくるもの」、あるいは「作りあげられていくもの」であるように思います。

あなたのビジョンはなんですか?、この地域のビジョンは何ですか?、この事業のビジョンは何ですか?との問いに対し、すぐに決めたり、一定量のワークショップと専門家の見識を入れて策定するというものではないと断言したいと思います。
その多様な声なき声、あるいは声が上がった声(やその背景)に耳を澄まし、根底にあるものに思慮を巡らせ、形を掴んでいく。そんなプロセスなのではないかと思っていますし、それは常に流動的なもの、繊細で把えづらいものでもあるというように思います。
もちろん、その中で相互に影響を与え合いながらすり合わせしていく「ダイアログ(対話)」の機会やプロセスも重要になってくることでしょう。

と言いながらも私自身は、この2ヶ月で事業を執行しながら、他者の声、自分自身の声を聞きながら一つのビジョンが生成されてきたように思います。文面化すると『「持続可能な本物の目的地・滞在地・居住地と成り得る地域」の基盤を「学習する地域」づくりを通じて共創造していく』というものです。
次回は、この私自身の本事業に対する「個人ビジョン」から出発し、地域ビジョンや全体の「学習する地域」を構成する要素にどのような関連性を持つかについて整理・言及したいと思います。

 

【文責:宮田久司】

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伝統資産から学ぶ〜清酒業界の持つ持続可能性の側面

昨年10月9日に名城大学ナゴヤドーム前キャンパスにて開催された国際フォーラム「持続可能な開発と文化を目指して〜アジアからの学びとアジアへの教訓」において、日本酒産業に含まれる人々の豊かさにつながる経済や生態系の持続可能性に関する見解を発表しました。

このフォーラムは名城大学外国語学部の主催により行われたもので、私も発表をさせていただきましたが、先日プロシーデングスが発刊されましたので、以下に日本語訳文を掲載させていただきます。

ぜひご一読くださいませ。
また、以下のURLからはフォーラムすべての要約がご覧になれます。
http://www.meijo-u.ac.jp/academics/foreign/pdf/forum2017.pdf

 

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伝統資産から学ぶ〜清酒業界の持つ持続可能性の側面

 

コメ由来の醸造酒である日本酒は、日本において約20世紀の間継承され消費されてきた。それは農村経済と密接な関係があり、自然の摂理に基づく環境に優しい製造手段を採っており、人々の信仰や慣習の中で保たれてきた。
この伝統的な製品は、現代の市場においても地域や職人ごとに多様な種類のものが消費されている。
本文は、日本酒に内在する持続可能性の要件を持つ「価値経済」に対するヒントについて言及する。


日本酒の主要な原材料はコメと水である。それに加え、麹菌の糖化酵素が働きコメの澱粉質が糖化され、酵母の働きによりアルコールが生成される。この二重の醸造工程は「並行複発酵」と言われ、この複雑な自然の摂理による化学的変化の結果によって多様で美味な日本酒が製造される。

安全なコメと水を得ることは日本酒を醸造する上で重要なことであり、農村社会が農家の生業とともに保全されていることとも関係する。それは同時に、稲作が日本で採用された時から保全されてきたものでもある。

日本列島は豊かな自然環境や資源を有し、人々は様々な自然の中にある恵みを享受することができた。その中で、そこで暮らす住人は必然的に自然環境がもたらす恩恵や脅威に対し畏れを抱くことになった。
日本の社会はおおよそ紀元前800年代に稲作文化を採用したと言われているが、これはその他の極東地域と比較すると遅れている。例えば中国大陸の内陸部では紀元前8,000年と言われており、その理由は、必ずしも稲作の発祥と言われる東南アジア北部から距離があるということにとどまらず、日本列島の自然資源が住人にとって十分な食材を提供していたからだとも言われている。

紀元1世紀に編纂された中国の史書『論衡』では、日本のコミュニティの中でアルコール飲料が楽しまれていたことが記されているが、それらは、原始的な神道(自然崇拝)の中において神に捧げるものとして、あるいは社会の中で友好関係を育むものとして用いられた日本酒であると推測されている。

すでに神道と仏教とを共存し、取り込んだ後の時代である7世紀に記されたとされる平安時代の朝廷における法規の記録が残る『延喜式』という文献の中では、それ以降の日本食文化の中においても重要なものとして存在し続ける酒(日本酒)と茶が、朝廷の執りおこなう儀式の中に象徴的なものとして登場する。
日本酒は農村社会の枠組みや自然の恵み、地域の共同体で育まれた慣習の中から派生した神道を体現するものであるのに対し、仏僧により8世紀に中国大陸から本格的に持ち込まれたされたとされる茶は、知識、技術、権力などの現代化された機構体系を体現するものとして、仏教行事の中で使用されていた。

コメは、農耕を基盤とした社会の中で歴史的に通貨として機能し、課税の手段として用いられていた。コメを原材料とした醸造酒である日本酒も同様に、政治的機構において課税の手段として用いられ、現在の酒税にも繋がっている。しかしながら、現代においても日本酒は日本各地で生産され続けており、縮小傾向にある中でも約1,500もの醸造蔵が存在している。

清酒産業は、自動車産業と比較し「小規模で地域的な」産業と言える。例えば、年間の清酒産業の出荷額がおよそ4,570億円、従事者数が3万273人、出荷事業者数がおおよそ1,500社であるのに対し、自動車産業は出荷額がおよそ533兆1010億円、従事者数が81万4千人、出荷事業者は僅か14社である。

このデータが示すのは、日本酒の製造企業は自動車メーカーに比較し小規模で、また特色を持ち、地方に分布していることが推察されるということであり、事実、日本酒は北海道から沖縄まで全国各地で醸造されている。

日本酒は現代の経済的枠組みの中においても持続可能な農村文化の原型の中に保全されている。それは日本酒を醸造する際の最初に行う「蒸米」(酒米を蒸す)という工程においても、図1〔※Figure 1〕にあるようなその工程の背後にある様々な要素に目を向けることにより、そのエッセンスを垣間見ることができる。
例えば、醸造に必要な品質のコメを得るためには、安全な土壌や適切な気候、安全な水質といった汚染されていない環境が求められる。一方で、農家が継続的に農業を営むことができるだけの収入を実現することも要求される。また、自然災害や自然破壊を回避することに繋がる安全で豊かな自然資源を保全するという波及効果をもたらす農村社会の保全も要求される。

「蒸米」で使用される「甑(こしき)」(杉材の桶)は木工職人の生活を守ると同時に、それが山林の環境を保全することにつながり、それ自体が農村コミュニティを保つということにもなる。

すべての清酒醸造の工程が、類似する文脈的背景を有しており、自然、文化、経済的な観点から地域における自然と人々の暮らしの共生の要素を持っている。
これらが「地酒」(地域に息づく日本酒)文化として、現代において食の安全や、文化的多様性に触れる楽しみに繋がる郷土食や「祭り」のような慣習といったものとともに親しまれている。
日本酒(地酒)や食文化はそのような多様で複雑な要素によって構成され、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が無形文化遺産に「和食」を認定したように、人間の豊かさに結びつく重要な目に見えない価値を有している。

世界的に著名な経済学者である宇沢弘文は「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置」として「社会的共通資本」の概念を打ち出したが、本文では日本酒が「社会的共通資本」を繋ぎ、媒介する社会的な価値ある産品であると提唱したい。
そして、現代の経済的枠組みにおいて価値を顕在化するために、それらの見えない観点を可視化する必要があると考える。

また清酒産業は、持続可能性を実現する要素を持つ。なぜなら、「①価値ある財は社会的共通資本に結びつく多様な要素によって形成されているということを人々が認識し」、「②社会的共通資本の保全につながる見えない価値を認識して購買する思慮深い消費者によって消費が支えられ」、「③社会的共通資本に関係する見えない価値を持つ財を評価する指標や社会的環境を人々が保有し」、「④財が短期的に(消費者の便益として)、あるいは長期的に(社会的共通資本に波及効果をもたらすものとして)人々の質の高い暮らしの保全につながる形で機能、供給されており」、「⑤収益(あるいは資本)が供給者の暮らしの質を支えると同時に、社会的共通資本の保全にも結びつく形で再循環している」という五つの要件によって支えられる実体経済を基礎とし、人類の福祉に根ざしている「価値経済」を創造する切り口となりうるからである。

 

参考:図1

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〔以上〕

以下はプロシーディングスと本文(英語)です。

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【文責:宮田久司】

広域観光推進協議会を振り返って

先日、美濃加茂市の木曽川河畔を歩きながら、ふと過去のことに思いを巡らせることになりました。

かれこれ、間には色々と経験しましたが、観光や地域振興ということに仕事で取り組みはじめてもう10年以上になります。

私の最初の仕事は「日本ライン広域観光推進協議会」という愛知県犬山市、岐阜県各務原市、可児市、美濃加茂市、坂祝町の行政により構成される広域観光事業の事務局であり、当時、国土交通省「観光地域づくり実践プラン」の対象事業として進められてきた広域的な観光地域づくりを「官」を起点に、民間を巻き込んで振興するというものでした。

この事業が終わり、退職したのが2008年なので、もう9年も経つと思うと何とも、歳をとってしまった感が否めません。

そして、2017年の今年から(成果が出ず役割が不要になれば今年のみかもしれませんが…)は、岐阜県中津川市、恵那市の広域的な観光振興事業の運用を担う役割を請ける事になりました。

私の生まれたこの土地で、過去の経験も踏まえ、重要な役回りを担わせていただけることは、非常に光栄なことでもあります。

しかしながら、過去に従事させていただいた「日本ライン広域観光推進協議会」は事業的なアウトプットを見ると、確かに(私の力ではなく当時の上司や構成自治体、委員の皆様の尽力により)問題なく執行されているのですが、振り返って地域として何が残ったのか、果たして有益なアウトカムやインパクトを残したのか、地域的な資産を残すことができたのかと問われると、残念ながら胸を張って「YES」とは言い切れないというのが、私なりの反省点、振り返りの結果です。

では、何が反省点だったのか、そしてそれを踏まえどうすれば良いかということを、時代の変化も踏まえながら、ここで少し整理したいと思います。

今回については、私自身も以前よりは経験も、わずかなノウハウの蓄積もありますし、何より責任と権限も増しています。この機会は、地域にとって後先が無い貴重な機会であるということも認識している以上、意義あることを、先につながる方法や方向性を目指し、尽力したいと考えていますので、そのような点も含めて、以下に列挙します。

 

1.長期的な視野を見据えて構築されたものであったか?

今でこそ国際観光都市である飛騨高山も、50年前は斜陽化した林業とわずかな観光産業が残る山間の町でした。

1962年6月に「こども会」により始まった宮川 の清掃活動、1960年の高山祭の屋台の重要民俗資料の指定と翌年からの高山市の援助金の支給、1966年の「上三之町町並保存会」の発足など、小さな 動きからの集積と並行し、1963年に雑誌『暮しの 手帖』に「山の向こうの町」として紹介され、1970 年からは国鉄(当時)のディスカバージャパンキャ ンペーンで取り上げられるなど外部から脚光も浴びはじめ、観光地としての認知が高まりを見せました。

また、国際観光誘致にも早くから着手し、日本 政府観光局(JNTO)のフランスの駐在事務所に自治体職員を出向させるなど、官民を挙げて積極的な生き残り戦略を取り、その成果もあって、ミシュラン効果(2007年『ミ シュラン日本ガイド』でわざわざ訪れる価値のある 三ツ星観光地に選定された)も相俟って、昨今の外国人観光客の急増と、一大国際観光地としての地位を得ています。

ここでお伝えしたいのは、高山ですら、官民あげて多様な、かつ断続的な取り組みを、かなりの長期スパンで行い、その蓄積によって現在の状態まで持ってこれているということなのです。

地域観光の振興という物事を取り組むにあたり「予算が付いたから」、「2〜3年で事業を行い、あとは民間で自律的に・・・」という『淡い消化事業』であれば、祭りが終われば日常に戻るかのように、何も残らないということです。

リニア駅開設までに止まらず、(人口が半減するかもしれない)50年後を見据えて、地域振興や観光を見ていく必要があると思いますし、そのために何ができるか、誰が何を担うか、財源をどのようにするかを共に考え、創造し、執行するマネジメント体制や体系(システム)を「社会的インフラ」としての資産として想定し、構築・確立していくことが重要であると考えます。

そうでなければ、結果として「何も残らない」に等しい状況になることは必至でしょうし、様々な地域でよく見られる残念な事象と同じになってしまうことが懸念されます。また、一部の関係者は、このような事象がもたらされることを想定し、巻き込まれないよう「冷ややかに」眺め、ジャッジしているということももう一つの側面です。

 

2.市町における明確な政策的位置付けがあり、評価可能なものであったか?

地域の行政を始め中間団体が主導、関係する広域的な施策や事業において、便益を提供すべき対象は主に3つあります。

一つ目は、構成員である組織、すなわち行政(自治体)や観光協会などにとっての便益です。

彼らと事業において創出したい便益・価値と広域事業のそれが一致していない場合、そもそも事業は成立基盤を失います。
そして、それが例えば国の事業期間・補助が終われば解散、あるいは規模縮小という「金の切れ目が縁の切れ目」の結果を導くことにつながります。

従い、それら構成団体・組織の政策目標や評価基準と広域施策の目標や創出したい価値が一致しているかを考える必要があります。

しかしながら、構成団体自体はそもそも広域事業が価値があり、該当団体や地域にとって意義があるという位置付けや意味づけを自らがその物差しを持って評価するということが当たり前にある訳ではなく、むしろそのような評価軸は存在していないことの方が多いのではないかと感じます。

一時の庁内の空気や、個々人の感情や意欲の中で「広域は大事だ」という認識が生まれたとしても、その物差しを提示することがなければあくまで「その時の機運」や「個人の意見」にとどまり、霧散する可能性もあるということです。

そして、その結果が「金の切れ目が縁の切れ目」の結果を導きます。

つまり、構成団体にとって測定や評価が可能な指標や、それ(なぜその指標が重要となるか)を支える文脈を整理し、関係者の間でよく共有できるようにし、かつお互いが理解を踏まえた上で検証や修正を行えるようにしていくことが不可欠です。

二つ目は、受益対象者となる住民や価値創出の担い手となる事業者などにとっての便益です。

これは一つ目の構成団体にとっての便益とも連動するのですが、そもそもが構成団体の背後にある受益者(第一の顧客)は、地域住民であり、域内事業者ですので、それらがいかに生き生きと事業を展開し、顧客に価値を提供し、持続可能性や発展を実現できるか、あるいはそれらの生業や労働を含め、生活者としての満足度の向上に資することができているかということが重要になります。

受益対象者をセグメント分けし、いかなる受益対象者に対し、いかなる便益をもたらすことができるか、あるいは目論むか、そのために何をやるべきかの関係者間の議論と整理、またその上での方向性や施策、事業の創造を行うプロセスを省いて、長期的に地域が一体となって腰を据えた動きをしていくことは不可能でしょう。

それを顧みる必要があります。

三つ目は、地域にとっての魅力・価値を享受する顧客ないし潜在的顧客としての消費者です。

これは、域内の住民(消費者)ということもありますし、域外の消費者ということもありますが、何れにしても地域の自然などの公共財としての資源や、物・サービスなど域内事業者の手によって価値付けされた財・商品を通じて得られる満足度、豊かさということになります。

そして、そのバリューチェーンを支え、結果として全ての受益対象者にとっての価値・魅力を想定し、最大限の結果を導くためにコーディネートやファシリテーション、包括的支援を行っていくことが、広域事業には求められます。

そこには指揮者の小澤征爾氏が言っていたように、個々の演奏家の発したい音楽を否定せず活かしながらすり合わせ、結果として全体のピクチャー(世界観)を成立させ、聴衆の感動(満足)を呼び起こす結果に導くオーケストラの世界と似ているような気もします。

 

3.目に見えないものを可視化し、評価・分析できていたか?

長期的な視野で物事に取り組み、各受益者(ステークホルダー)にとっての関わる意義・便益を引き出すためには、目に見えないものを可視化し、評価・分析することが必要になります。

観光は、以前このブログでも取り上げたように「要素複合型結果産業」であるが故に、直ぐに結果に結び付くものでもありません。あるいは短期的な集客や売上高の向上を目指す特効薬的なイベントやディスティネーションキャンペーン(DC)のようなものが中期的に見ると決して地域にとって良い結果につながったと必ずしも言えないと良く言われるように、一見うまくいったものが、地域的メリットを評価してみるとそうではないということもあります。

そのような観点からも、事業を推進する上での求める成果と、それを得るために重要となる「在り様」、要素を整理していくことが必要となります。

例えば、新たな資本投下により格安のリゾートができ、集客を取り戻したとしても、他地域のセントラルキッチンで作られた他地域産の食材を使用した料理が提供され、資本効率が良く従業員を必要とせず(雇用を生まず)、決済も域外で行われ、他の箇所に寄り消費することなく高速道路や高速鉄道で帰られてしまうとしたら、数字上の「入込客数」が増加したとしても、地域的なメリット(波及効果)はあまり大きくはないでしょう。

ということは、地域としてのメリットを評価する際に、違う「鍵となる評価指標」(KPI)を用いる必要があります。

「要素複合型結果産業」ということで、創出された直接的な結果(集客、雇用、生産高など)を追うのみならず、価値を創出するための源泉(Performance capability)となる資産・資本(生態系としての社会関係資本や社会的共通資本)などを分析・評価することも重要になるでしょう。

そのような観点を踏まえ、何を大切にしたい指標か、地域にとって重要な指標かを整理することが重要になります。

過去の協議会では、このような物差しや分析ツールがあまり存在していなかったように思います。

 

4.地域資源の産業化と地域資源の保全に関する循環を意識できていたか?

地域の自然資産、人的資産、産業的資産、あるいは制度資本、社会関係資本、社会資本など地域資源・社会的共通資本は、住民の生業と結びついた産業によって成立し、その事業者の拠出する設備投資や生活者の拠出する財(租税や自治会費、ボランティア活動等)により再構築や蓄積がなされます。

生活のために産業が必要であり、林業、農業、流通業、旅客運輸業、飲食店、食品加工業、酒造業など様々なジャンルの産業がその重要な構成要素を担っています。

地域資源の産業化と地域資源の保全の両輪を担う事業者であり住民が、どのような形でそれをブラッシュアップしていくかについて、まずその必要性について理解し、施策として取り組むことが必至となると考えます。

その時、何ができるかについては、その地域の資源、担い手の現状や方向性、強みや性質などによってまちまちとなるかと思いますので、地域の実態に根ざし、インタラクティブに施策を整備し実行していくことが望まれます。

ここについて、答えは無いという面もありますが、以降に述べる「出口」と「生態系」についてはしっかりと把握し、検証しながら進めていく必要があると思います。

 

5.出口(販売チャネルやプラットフォーム)を見据え・繋げることができていたか?

目立つところでイベントをやり盛り上がったから良かった、地域でイベントをやりたくさん集客できた、体験観光プログラムで多くのお客さんに喜んでもらえた、百貨店で物産展をやったら売り上げが結構あった、旅行会社にツアー造成を委託してモニターツアーで来てもらえた…等、短期的な販売機会により売上や来客があったことは、良いことではあると思います。

しかしながら、これも「DC」と一緒で、一定期間のお祭りの部分は否めません。

長期的には、恒常的に地域に産業や文化として自然に根付くバリューチェーンをどう創造していくことができるか、あるいはその後押しができるか、またそれをブラッシュアップしていくことができるかということになると思います。

しかしながら、その出口は事業者の規模、商品の性質、あるいは商品化のプロセスによってまちまちになってきます。

受益者としての事業者をしっかりと分類し、誰にどのようなルートやマーケティングのための方策や機会を提供・提案していくことがベストなのかを常に考え巡らせることが不可欠になると思います。

先の産業化の話とも重なりますが、そのようなきめ細かい動きは、行政では不可能です。観光協会でも、商工会議所でも不可能です。というのは1セクターができることが限られているからであり、抱える資源が限られているからです。

広域的な、多様な機関・団体が関わることの意味はそこにあり、それぞれの引き出しの中で何ができるかを共に考え、また情報を得て、学び、実施や検証を行っていくことが重要になります。

イベントが間違っているわけではなく、それらが結果的により最適な出口の創造・結合に結びつくかを見据えることが重要になります。そこで「マーケットイン」の視点が重要になるのです。

 

6.人を活かすことができていたか?(生態系のマネジメント)

実は以前の協議会においても「人」の存在は重要であるという考えがあり、「町衆」を取り上げ、取材が行われ、コンテンツ化されて「出版」されたりもしました。

日本は四季によって自然が様々な表情を見せ、飽きさせないばかりか風物詩としての特別な経験や感情を与えてくれます。

それと同じように「人」は、その情熱や関心、探求をする者として、常に新しい創造性をその対象に加えてくれます。

探求熱心な料理人は新たな技術、四季の素材、多様な食材、新たな知見から、私たちに新しい経験・感動をもたらしてくれますし、音楽家も、体験プログラムのインストラクターも、特産品を開発する人も、様々な人がその専門性や献身性、探求、創造性から新たな価値をそこに吹き込みます。

それは、例えば域外から来る消費者にとってその土地の、飽きさせない要素になり、目的地(ディスティネーション)にもなり得ます。

見るだけで「一回行ってみたら十分」という固定化された価値と違い(それが良くない訳ではなく一定の価値はあるのですが)何度行っても価値がある、何度でも行く価値があると思わせる源泉が、そこ(つまり「人」)にはあります。

また、生き甲斐としての人の自発的な行動が、地域の自然や景観の美しさを整備する際に役立ったり、地域の文化的価値をもたらす背景の整備に役立ったり、まさに多様でユニークな個人がそこに存在しています。

それをコンテンツ化し、「出版」というアウトプットをすることで区切りをつけるのではなく、その重要な資産をどのように把握し、情報を活用するかという「生態」の把握・活用と、その人(あるいは事業者)たちがどのようにバリューチェーンの中で価値の連鎖(つながりのパス)としてつながっているか、それをどのようにアレンジしていくとより良いのかという「生態系(エコ・システム)」の把握や活用・アレンジも必要になります。

それにより価値を提供できる深さや幅が広がったり、顧客や販売チャネルを融通することによる相乗効果が生まれたり、顧客が求める価値に応えるポテンシャルが広がったり、すなわち喜んで地域的に「お金が落としてもらえる環境の創出」につながってくるからです。

 

7.消費者と、そして地域の担い手と価値観を共有・共創することが不可欠になる

以上は、あくまで過去の反省を踏まえ、今自らが留意すべき事項を簡単に、思いつくままに羅列しただけのものですが、私個人としては、これからは観光や地域振興を取り巻く価値観を(上述した3つの受益者を中心に)全てのステークホルダーの間において転換していくことが不可欠になると考えています。

まず、地域においては人口減少が運命付けられていますが、その分を他地域からの観光客で埋め合わせたり、移住を促すことでカバーしようという考えが最近は主流ですが、原則として地方の人口パイや経済的パイは縮小こそすれ、拡大・発展はしないという前提を押さえておく必要があると考えます。

地域間競争を制し、その地域の縮小が食い止められていたとしても、他地域の人口が減少したり経済環境が厳しくなったりした場合には、結果として他地域にある顧客のパイが縮小しており、特に意味をなさないという結果になります。(参照『地方創生にこそ「量」ではなく「質」を』

また、上記の観点と合わせ、経済学者の水野和夫氏が述べるように「閉じた地球」、すなわちフロンティアに対する限度が挙げられる現代の経済環境の中で、資本収益率(ROE)などの最大化を常に実現しなければならない資本「主義」の考え方が限界に達しており、資本効率を上げるために労働効率・収益率を高めることで労働者が不要になり、あるいは安い労働力に代替されることで、一部の豊かな資本家(国家)と貧しい労働者(国家)という社会的・経済的分断が起こっており、それにより実体経済における資本収益率自体が陰りを見せるという「資本効率の追求と社会的分断のパラドックス」が起こっている現実を見ると、全体としてみた場合に移住者や観光客の奪い合いに焦点を当てることは、長期的・大局的にはあまり意味をなさないというのは、より実感できるのではないでしょうか?

それは、一度、経済成長や発展、競争という観点・価値観から思考を脱し、豊かさとは何か、それを実現する手段とは何であり、いかにして我々の現在や子孫のこれからの豊かさを担保するかについて、共に考えなければならない時期にさしかかっているということではないのかと思います。

食文化に関して言うと、「テロワール」(土地固有の自然の恵み)を反映した多様な食文化は、人々の文化的多様性をもとにした楽しみ(文化的経験)を享受する意味において不可欠なものであり、それゆえに守られ、育まれることが人類の豊かさを実現する上で意味・価値を持ちます。

では、それを担保するためにどうすれば良いのか?

先のステークホールダー別で見ると、まず社会資本や制度資本を管理・運営する行政をはじめとした中間機関・団体としては、その価値・意義を見せ、価値や希少性を示すための制度資本や背景となる文脈の整理が必要になるでしょう。文脈とは環境、農業経済、地理学(文化地理学)、歴史学、産業政策と言った多様な観点から情報を組み立てていくことが必要になります。

原産地呼称管理制度というのも、確かに一つの制度資本になるとは思いますが、このようなすでにある取り組みも鑑みながら、試行錯誤していくことが求められます。

一方、生産者や供給者は、そのような固有性という価値、背後にある価値を見せながら消費者に妥当な価格での購買(選択)を促していくことが必要になります。その土地ならではなの安全で安心、特徴的で美味な食材・料理を提供し、価格としても反映させていく提案が必要になります。

先日、南仏のオクシタニー地域圏に行った際には、同地は自然な栽培方法による地域産の野菜や肉といった食材が豊富で、もちろんワインもそうなのですが、レストランではそれを価値としてしっかり前提として見せ、取り扱っている様を体感しました。

逆に、宿泊したレストランの食材にドイツやポーランドと記載されているものもありましたが、その際には私たちのパートナーであるフランス人は「何故?」と非常に不満気な様子であったのも印象的でした。

提供者がしっかりと選定して提供すると同時に、消費者もそれを価値として判断・選択する環境は、果たして現在の日本の地方にあるのかと問われると、まだ需給の両面からの社会環境整備・認識や価値観の共有についてはこれからと言わざるを得ません。

消費者にも同じことが言え、近年増加傾向にあるかとは思いますが、まだまだ十分に判断・選定しているとは言えませんが、潜在的には掘り起こすだけの需要が眠っているように思いますし、そのような価値観を喚起していくことが、先を見据えた時に重要になると思います。

しかしながら、やはり消費者とはあくまで受け身であり、提供されている財・サービスの中から選択して消費するというのが現状です。

まず、供給者が価値観や信念をもち、必ずしも利益率が高く流通に効率的とは現状言えない地域(郷土)商材を扱っていくことができるかに懸かっているということが言えます。

その際、大資本、大規模小売店やレストランチェーンは非効率なこれらの商材を扱うことは難しいことを考えると、そこに地方の中小企業、個人事業主、酒販小売店、地域の飲食店などのコミュニティ性の高いビジネス(事業体)が担い、ほどほどに機能して貢献できる余地、差別化でき価値を見せる余地があるのではないかと考えます。

そのような循環は、消費者の価値観や地域的な価値観にも影響を及ぼし、結果として他の生産者にも影響を与え、流通上の付加価値(余剰)としてもオンすることができ、結果としてボチボチ成り立ち、美味しいものが食べれて、それなりに豊かな地域社会の経済循環創り、文化創りに役立つのではないかと思います。

そのように社会的な「価値観」も含めて消費者に提案するとともに、社会的なニーズも含めた潜在需要を喚起し財・サービスを提供する視点を私は「ソーシャル・イン」という造語で言っていますが、この視点が社会的な価値観の転換と人々の豊かさの保全・共存を背景とした実体経済に基づく余剰を生む経済循環モデルとしての「価値経済(Quality Economy)」(但し、この概念が厳密に価値や意味を持つかの検証や数量的なモデル化はしていないのであくまでザクッとした概念の提唱に留まってしまいますが…)の創造に、地方が向き合い、取り組んでいくことにつながるのではと考えています。

長期的(50年後を見据えた時)には、これが鍵ではないかと思い、いつかもっと突き詰めたいとも個人的には思っている次第ですが、なかなか突き詰めれていないという情けない現状もありますが。。。

 

【文責:宮田久司】